【読書LOG】インカメ越しのネットの世界〜オンラインで生きる時代のセルフブランディング戦略

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およそ20年前、携帯電話の小さな液晶に数文字だけの「文字の会話」ができるようになったときの衝撃・・電子メールとは違う。ポケベルの暗号とも違う、文字で、オンタイムでチャットでのコミュニケーションができるって「すごい!!」と思ったことを思い出しました。

私たちは今や「話す」という以外にいくつものコミュニケーションの手段を持っています。それが無かったころを知っている私たちと、ほぼ知らない世代のりょかちさん。
なのに・・・彼女の洞察力と俯瞰力、言語化の巧妙さに、たびたびハッとさせられました。

自分の「好き」は自分で決めろ

私たちは、これから消費しようとする対象のことをいつでもネットで検索して調べることができるようになりました。

「私たちは2回検索することで安心している。2回目の検索は、インターネットでのみんなの評価、星の数。」

でも、それは他者のレコメンドであって、本当に自分の価値と同じなんでしょうか?

私たちは「自分の5つ星」を見つけるということを忘れてはならない。だれも「いいね」をしてくれなくても、自分が好きならそれでいいと思えるものに囲まれないと、自分の感性は埋もれていってしまう・・・他人の価値に囲まれて生きるのは味気なく感じます。

確かにおかげで「ハズレ」を引きにくくはなったかもしれませんが、自分の好きなものくらい、自分の感覚で見つけることを忘れてはならないですよね。

言語はそれぞれ「性格」を持っている

多種多様なSNSでのやりとりとともに、もはや若い世代のコミュニケーションは、「おしゃべり」や「テキスト」だけではなくなっています。自撮り写真もフィルタで加工したり、「美味しい」という思いとともに送る料理画像、LINEスタンプ、イラスト・・・

脳みその中のデータを「ことば」で伝えようとすると、なんか違うと感じる違和感・・・例えば私は、文字でのやりとりに救われるほうだったりします。とくに「スタンプ」は、上手く私の頭の中の感情を言語化してくれて助かるなぁ・・・と感じることがあったりするのです。

ある人によってはテキストが得意だったり、ある人は対面が得意だったり、またある人は、イラストとともにコミュニケーションすることがしっくりきたりすることはないでしょうか。

もはや私たちはテキストだけのコミュニケーションから卒業しているのです。

JKに学ぶ「サブアカウント」の勧め

若い子たちは、アカウントをたくさん持っていて、それぞれの情報網(コミュニティ)によって使い分けているそうです。

「対峙する相手によって自分のキャラクターを調整している」・・・ああ、これって平野啓一郎の「分人論」だな、と感じました。自分は、情報の集合でてきている、が向き合う相手によって発信する情報も選ぶというのは以下のたとえがとてもわかりやすいです。

 私は、大人数での飲み会が苦手だ。大人数での飲み会は、とにかく自分を調整する対象が多い。自分が発言する度、「あの人は笑ってくれたけど、あの人は不機嫌になったかな」とか、「この人の前でこんな風に振る舞うのは大丈夫だろうか」とかを気にしなければいけない(気にしなきゃいけないわけじゃないけれど、気にしてしまう)

私たちは〝ブランディング〟だとかそういうものとは関係なく、対峙する相手によって、少しずつ自分のキャラクターを調整しているのだ。

 

私も、Facebookでは、つながる友達の範囲を限定しています。Instagramでもまた違っています。SNSによって、その飛距離も多様化しているということなのです。

それぞれの繋がり方で、自分の日常やキャラクターを不特定多数に繋がり方を変化させています。皆に見せているように見えて、誰か特定の相手に自分をアピールしているということなのですね。

 

インカメ越しのネットの世界

本の後半の、はあちゅうさんとの対談も興味深かったです。

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